2015年5月2日 星期六

臺灣人説的魚故事 序文➀ 日本語版  著者 荘健隆

十年ほど前、私は〈台灣人的魚故事(台湾人が語る魚の物語)〉を書いた。


 その日以来、私はずっと、自分の作品が日本語訳出版される日を待っていたのである。
理由は二つ。一つは、台湾の多くの魚は日本と関わりがあり、日本の方々にお伝えしたいということ。二つ目は、最愛の母に読ませたいこと。
 今回の作品も私の考えに変わりはない。年取った母はもう本を読まなくなったが、彼女より十年ぐらい年下の方々なら読めるはずだ。


 
  最初はティラピア(台湾名「呉郭魚」)の話。1946年に、台湾人元日本兵の呉氏と郭氏の二人がシンガポールにあった旧日本軍駐屯地からティラピアを輸入。養殖魚として大成功。「いずみ鯛」と言う名称で日本へ輸出されている。



 台湾では四百年の歴史があるサバヒー(台湾名「虱目魚」)国姓爺合戦で知られる 成功(1624~1662)にゆかりある魚だ。
 鄭 成功は日本平戸で父鄭芝龍と日本人の母田川松の間に生まれた。166には台湾を37年間占拠していたオランダ人を追放し、承天府及び天興、万年の二県を、澎湖島には安撫司を設置して本拠地とするも、翌年に死去した。

この鄭 成功がこの魚をはじめて食べたときに、あまりの美味しさに泉州訛りの閩南語で「(これは)なんという魚か(咪魚:sia-mi hi:シャミヒ)?」と質問したのを地元の人が「サバヒー?」と聞き間違えたことが名前の由来という俗説が広く流布している。しかし、近代台湾の学者たちは「サバヒーの養殖は鄭成功が台湾に来る前から始まったので、この名前の由来をさらに検討する余地はある」と述べていた。日本学者中野民考証によると、「Sabahe」という発音はオランダ語からだという。

 日本では明治初頭以来の養殖が始まった鰻も、日台共同研究によって、台湾では重要な養殖魚となった。更に、台湾の国宝である、台湾櫻鮭(台湾マス)は日本の大島正満博士が研究、「サラマオマス」と名付けたのであった。
 本書最後に述べたマグロは1932年、日蓮丸(白間津港所属)が台湾の基隆を目ざして出航、カジキマグロ漁を行い、以後台湾を漁場基地として、大規模なマグロ漁に発展した。今や、台湾で大人気の黒マグロの刺身を主力に、高級寿司店から開店寿司まで大盛況。また、台湾人は必ず大量なワサビを醤油と混ぜること。黒緑色のソースをこんなに付けて食すことから、台湾特有の刺身「新文化」となっている。


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